フェミニストがじつは一番嫌っているもの

昨日ブログに書いた森さん発言とも関係あることだけど、今の世の中のおかしいと思う事のひとつに、男女平等と言いながら女性をめちゃくちゃ優遇させようとして、男性にはどんな暴言を吐いても許されるみたいな、女性なら何をしても許される社会を作ろうとしているような不気味さ、というのがある。

 

森さん発言にしたって、それを激しく非難する内容の中身に平気で「なぜ日本のおじさんってこういう人が多いのか」みたいなすごい偏見とかおじさんというワードとか、平気で書いてくる。おばさんと呼んだら烈火のごとく怒る人たちが。

 

100歩ゆずって、これまでの過去を数百年にわたって、確かに女性は虐げられてきました。それはそれはひどい扱いを、近年まで受け続けてきた。

男女平等の力や発言権を持てるようになった現代、女性が男性に復讐するという意味で男はどんだけ痛めつけても痛めつけ足りない!と思っている人がいるなら、それはそれで確かに、そんな人もいるのかもしれないと思う。

ただ、それならそれで、復讐しているだけなんだと言えばいいと思う。

過去に女性は理不尽に虐げられてきたから、これからは女性が男性を逆に虐げていこうぜ!とでも言えばいいと思う。

あれこれ難癖付けて自分たちを正当化しようとしているからおかしくなる。

 

あと、女性と言うのは複雑なんですよね。

 

実際、なぜ女というだけでこんな目に合わないといけないんだ!と文句ばかり言ってる女性には、なぜか男性の会社の偉いさんとかによくご飯に連れて行ってもらったりしてるタイプが多かったりする。当然のように奢ってもらって。

 

あと、めちゃくちゃ全身いつもばっちり、髪形から服装まで可愛く着飾っている人ほど、女を性的な目で見るな!って怒り散らしている人が多い。

 

私これ、前から思っているんだけど、女性が男性に対して非難を浴びせる時って、じつは本当に腹が立っている事と違う事にポイントをずらして指摘していることが多い気がする。

 

例えば、なぜ女性が料理するのが当たり前なの?なぜ女性は料理できないといけないの?と怒っている人は、料理できる女性を求める男性に対して怒りをぶつけているけれど、じつは料理が得意である女性がいるせいで、料理が苦手な自分が女として低評価を付けられることに対してムカついているだけのような気がする。

料理が得意で、男性が喜んで食べてくれることに喜びを感じている女性もたくさんいるということを全く無視して、女性に料理をおしつけるな!と、勝手に女性を代表して言ってしまっているわけだから。

 

セクシーな服装をしている女性を性的に消費するな!と男性に怒りをぶつけている女性も同じ。

自分が思う素敵な女性像、そして自分が目指している女性像とはかけ離れた、自分がこんなふうになりたいと全く思えない女性を男性がちやほやすることに対して怒っているのかな?というふうに見えてしまう。

 

だって、実際に男性から性的な目で見られたい、自分の性的魅力をアピールしたいという女性の存在を全く無視して、女性を代表して勝手に意見しているわけでしょ?

 

私が学生のころ、まだ日本では体育の時間に女子がブルマを履く時代だったんですよ。

 

私は顔は普通だけど、スタイルはまあまあ良かったので、ブルマ姿になるとあの子けっこういいじゃないの、という目で見られるのは正直嬉しかったですよ。

 

その後すぐにブルマは廃止となり、それで全国の女性が守られたような感じにされてしまってましたが、私は内心、私が学生のうちにブルマ廃止にならなくてよかったなって思いました。

 

そのうち学校の制服だって女の子がパンツも選べるようになるとか。

そしたら、本当はスカートをはきたい女の子も、あの子は自分の足に自信があるからスカートはいてるんだねって陰で言われるのが嫌で無理にパンツを選ぶ子も出てきそうな気がする。

 

とにかく同じ女性として、フェミニスト人たちってなんか怖いんですよね。

ああいう人たちが一番嫌っているのは、あの人たちの基準で言う所の「男に媚びる女」ってやつなんだろうなという気がする。

見出しの一行だけで思考は操れる

またこれはおかしいなと思うニュース。

ここ数日はコロナをしのぐ勢いで騒がれている森さんの失言問題。

 

はっきり言って私はもうニュースの見出しを見ただけで、あぁまたいつもの切り取りだろうなと思いました。

 

それでもまだ、全文を見てもやっぱりおかしいと思いますって主張する声まである。

 

確かに女性に対する偏見と取れる内容ではあったし、立場上もう少し慎重に発言するべきなのは分かるけれど、ここまでの総攻撃で批判して辞任にまで追い込むほどの事では決してないと思う。

 

もし、ニュースの見出しに「森喜朗さんの発言」とだけ書いて全文を掲載し、このようにおっしゃられていました。だけだったら世間はどんな反応をしただろう。

 

と言うかそもそも、私たちはこういったメディアのかたちに慣らされてしまって、多くの情報の中から自分でその内容を正確に読み取るという能力を奪われてしまっているのかもしれない。

もしくは、そうやって情報を読み取る能力がある人というのはそもそも少数で、分かりやすい見出しを付けることで一般人も広く情報収集ができるようになったという側面もあるのかもしれないですが。

 

 

やっぱり見出しで受けた第一印象を変えることが出来ない人が圧倒的に多いというイメージがある。

【涙が止まらない】と頭についたタイトルの読み物を読むと、大した内容じゃないのに本当に泣いてしまう人って、多分いるんだろうなというのも納得。

 

コロナも実はそうなんじゃないかと思っているのが、パンデミックの初期のころに、歩行中の男性が突然倒れて、全身痙攣させながらそのまま死ぬという動画が全世界に出回りましたよね。

その後、あれは誤報でしたとか、コロナと関係ありませんでしたという報道はどこもしてないんですよ。なので、その洗脳は解かれていないわけですよ。

あのイメージが深層心理の奥深い所に横たわっていて、それ以降はもう、どんなに無症状がほとんどだと言われようが、若者はほとんど死んでいないと言われようが、例年のインフルエンザよりも大したことないというデータを見せられようが、「コロナは死のウイルス」というイメージがどうしても拭い去れないんじゃないか?

 

今でも不思議なんだけど、あの映像は何だったんだろう。

そして、誰が何のために?

こういう所がやっぱり陰謀めいているんですよ。しつこいようですが、陰謀なんですよ。陰謀論じゃなくてね。

 

ホイシンソースと言う中華料理の調味料があって、中国語では海鮮醤と書くんですが、名前に海鮮と入っているものの材料に魚介類は入っておらず、大豆やスパイス、ニンニクなどで作られた甘味噌という感じ。

しかしこれを実際に食べた人が、うーん、ちょっと海鮮の独特の風味が私はちょっと苦手だったなと言う感想。

名前に海鮮とついているだけで、舌なのか嗅覚なのかわかりませんが、勝手にありもしない魚介類の風味を感じ取ってしまう人が実際にいるわけです。

 

ニュースの見出しとか、報道の仕方1つで人間の考えや行動をコントロールするなんて、いともたやすいことなんでしょうね。

目覚めた人は十人十色

もうひとつコロナ禍で気付いた事。

それは、目覚めた人、いわゆるメディアの洗脳が解けた人というのは、自分の頭で考えているので、その考え方は本当に十人十色だという事。

 

当然と言えば当然なんですけどね。

 

まあ何が言いたいかと言うと、あ!この人は仲間だ!同じ考え方の人だ!と思ってその人の考え方を見ていくと、例えばコロナ以外の事で私が常々おかしいなと思っていたことを、めちゃくちゃ肯定していたりする。

だいたいそれは根本的に支持政党が違うというか、右よりか左よりかだったりするのに基づいてるのが多かったりもするんだけど、それってコロナ脳には右も左もないんだなぁと改めて気付くポイントでもあったりするわけですが。

 

しかしこれもまた、過剰なコロナ対策のバカバカしさを指摘する時に、こちら側の弱みになるポイントでもあると思うんですよ。

と言うのは、当然洗脳されちゃってる人たちはみんな同じ意見を持って、同じ意見で戦っていますよね。ま、それが自分の意見じゃなくて洗脳によって植え付けられた意見だと本人は気付いてないんですが。

 

それに対して、こっちは十人十色なもんだから、じゃあこのコロナが怖ろしい病気じゃないとすれば、ただの風邪みたいなものだと言うなら、いったい誰が何のために世界中でこんな騒ぎをしているの?その目的はなに?と言われたときに、これだ!と示せる答えもまた人それぞれだったりするのでイマイチ説得力に欠ける。

 

それがまさに、昨日書いたように、イルミナティだのカバールだの、キルゲイツの人口削減計画だの主張する人もいれば、いや、あくまでも日本国内の対策が間違っているだけであって、海外では確かに猛威を振るっているという認識の人もいるし、もっと小さい規模で考えている人だと、小池百合子が次期選挙で勝つためにやっているとか、大阪維新の会がどうのこうのであったりとか、まぁ、みなさん色んな意見があって、みんな共通でこれだと言えるものが何もない。

 

私自身、自分の身近な人とこの件で言い争いになる時は、「確かにあなたの言ってることは一理ある。でも、だったらこっちが納得できるようなコロナが茶番である証拠を出してくださいよ。」と言われてしまう。

いや、私だってだれが何のためにこんな騒ぎを起こしているのか知れるもんなら知りたいよ。

だからこれって結局、誰かの、というかどこかの組織の陰謀なんですよ。陰謀論じゃなくてね。

陰謀を仕掛ける人がはっきりと尻尾を出すわけないし、誰がやっているかわからないから陰謀なわけで。何かがおかしい、これは誰かの陰謀だ!わたしたちは嵌められているんだ!と声を上げることが出来ない世の中になっている。なぜなら、陰謀というものは存在せず、陰謀だ!と声を上げる人は「陰謀論者」で片付けられてしまうから。

 

いったいいつ頃から、陰謀論と言う言葉が出てきて、どのような過程で陰謀が陰謀論にすり替えられたのかというところから考えていくと、もしかするともっとはっきりとしたものが見えてくるのかもしれない。

 

 

 

 

 

ブログ開設

この1年ーーー

というのは、言わずもがなコロナの1年だったわけだけども。

これがきっかけで目覚めた人、気付いた人が増えている、というのはよく言われていることだと思います。

 

私もそのタイプ、と言いたいところだけど、なんかこう言っちゃあ偉そうに聞こえるかもしれませんが、目覚めたとか気付いたというより、前々からずっと、何かがおかしいなとは思ってました。

(これまでにおかしいと思って来た事をこれからどんどん書いていくつもりです。)

 

でも、これっておかしいよねと言うと、え、そういうこと本気で言ってる人ってちょっとヤバいよねと苦笑いされたり、何も聞かなかったふりをされたりしてきたんですが、コロナに関しては、身の回りにはいないけれども少なくともネットで探せば同じ意見の人がわんさか出てくるので、本当に気付いてる人が増えているのを実感している。

 

で、当然そういう情報を発信しているブロガーやYoutuberはたくさんいるので、今更そういう情報発信のためにブログを書くなんて完全に乗り遅れた人みたいですが、実はそうじゃない。

 

なぜブログを書こうと思ったかと言うと、

「あ、良かった。私と同じ考え方の人がいる。」と安心して仲間だと思った人の発信している情報を見ていると、

 

え。。。と、そこまで飛躍しちゃう?

 

みたいな。

ズバリ言うと、いわゆる陰謀論に行きついちゃうわけです。

 

 

私も元々陰謀論とかオカルトとか好きな方なんで、そういう情報も積極的に求めていくタイプだし、陰謀論と言われているものの中に真実が埋もれているとも思っている。

 

数十年ほど時をさかのぼれば、陰謀論なんてものはなかったんですよ。

あったのは、陰謀だけ。

それがいつのまにかその陰謀を『陰謀論』にすり替える事で、陰謀に気付いてしまった人達を逆に荒唐無稽な陰謀論者として片づけてしまうようになったわけだ。

 

なので、陰謀論だろ!ってひとことで片付けようとする人たちには、ちがうよ、陰謀論じゃなくて陰謀なんだよ!と返したいところだけど、そうするには無理があるような明らかなデマみたいな話に最終的に行きついてる人が多すぎて、ここはここで居場所がないなと思ってしまうわけで。

 

でも、そんなふうに思っている人は私ひとりじゃないかも?と思って、もし私みたいに感じている人がいれば、これから色んな記事を書いていくので是非読んでもらいたいし、そういう人だけじゃなくて、色んな人に読んでもらえたらなと思います。